はたして正常
他人の行動に対してなにを以って正常、異常と判断するか
これは非常にデリケートな問題で、場合によっては職業差別ともとられかねない話題なのですが、そんなつもりは毛頭ないということだけはじめに断っておきます。
SNSで繋がっているAさん(仮名)という人がいまして、現実世界での繋がりはほとんど無いのですが、その方は普段恋人との写真を載せたり、飲み会、食べ物、参加したイベントなどの写真を載せているごく一般的な方。
とくになんの交流もなく、たまにタイムラインに現れる人、という印象だったのですが、
つい数週間前から
「最近副業をはじめました」
「まさか自分がビジネスに手を出すなんて思ってもいなかった」
「新しい人脈が増えて、友達と友達が繋がっていくのが嬉しい」
あげくの果てには一万円札の束の写真を載せ始めました。
勘の鋭い方でなくてもお気付きでしょうが、おそらくネットワークビジネス、マルチ商法、ねずみ講と呼ばれているものです。(調べてみたらあり得ないくらい利率の高い投資系のもの)
当事者からすれば真剣に取り組んでいる仕事なのであまり悪く言えないのですが、
純粋さを全く失い、何事もまずは斜に構えて物を見るタイプの僕からしたら正直、
これは正直な話
「気味が悪い」
というのが素直な感想でした。
仕事の内容や、システム、利幅、先輩後輩の独特な呼称、それらを差っ引いてもただ皮膚感覚で得体の知れない薄気味悪さを感じてしまいました。
(オイ!それは職業差別だ!という方、最後まで読んでください。)
ただ、Aさん(仮名)は以前に比べてやる気に満ち溢れて、活き活きとし始めた印象を受けました。
いままでの年齢相応のごく一般的なSNSの投稿内容からは想像がつかないほどのエネルギーを感じました。
それはなにかに熱中できる事を持っている人だけが放つ事のできるエネルギーのような気がします。
果たして、Aさん(仮名)が異常で、僕が正常なのか
ギターアンプの電源ケーブル(コンセント)を2万円で買う事の方が異常だという人もいるでしょうし、
良い音でジャズを聴くために往復10時間の道のりを運転して一本1200円の缶ビールを注文し、帰り道に感動して泣いてる男のほうが不気味だと思う人もいるでしょう。
ただひとつ言えることは、なにかに情熱を注いでいる当人は例外なく幸福だ、ということです。
それがビジネスであれ宗教であれ音楽であれ。
そもそも正常な人など存在するのか
それは誰が何を以って判断するのか
そんな事を深く考えさせられました。